TSUNAMI 〜サザンオールスターズ

このコーナーを作るにあたって色々な曲を考えたが、私は記念すべき第一号にこの曲を選んだ。
その理由であるが、まず歌詞が音楽にぴったりとフィットする。ここまで調和の取れた曲も珍しい。
この歌詞、おそらくデビュー当時では書けなかっただろう。
若かりし日の桑田が最大の力を発揮したのが「いとしのエリー」だった。
しかし当時の彼の力では、ただひたすらに愛している相手が幸せになればいい、という若い愛しか表現できなかった。
「TSUNAMI」のような熟練した愛を描こうと思えば、それこそ様々な愛を経て来なければならない。

 風に戸惑う弱気な僕 通りすがるあの日の幻影
 本当は見た目以上 涙もろい過去がある

この歌詞を初っ端に聞いて、いきなり心揺らいだ人も多いはず。
ここでの「風」は、弱いながらもきっぱりとした変化を持った何かを示す。
それはおそらく過去の苦い愛をほのめかす何かだったのだろう。
そして「涙もろい過去がある」という一文こそ、若い桑田には描けなかった部分であろう。
こういった自己の内面告白的な歌詞には、その端々に作者の想いが反映されている。
これは若者特有の自己顕示欲が特化したものの一部で、決して見逃してはならない。

 あんなに好きな女性に 出逢う夏は二度とない

ここまでストレートに表現されると、陳腐なセリフなのにも関わらず新鮮な感じを受ける。
人生で最も愛した人は誰か。それを考えさせられる歌詞だ。
そしてその人と「涙もろい過去」との繋がりにも注意したい。

 人は誰も愛求めて 闇に彷徨う運命

全く、桑田は人間というものをよく理解している。
「人は愛を求めて彷徨う運命にあるんだ」誰にだって一度は考えること。
しかしその「愛の在処」を「闇の中」と見出せた人間は、一体どれくらいいるんだろう。
愛は美しいものだと意地を張る人は、案外多い。
しかし愛の真実というものは美しい部分ばかりではなく、もっともっと醜いところにある。
「弱者への愛は殺意が込められており、強者への愛はへつらいが込められている」
これは私の自論であるが、中々的を得ていると自負している。

 見つめ合うと素直に お喋りできない
 津波のような侘しさに I know...怯えてる, Hoo...

桑田はここで恐ろしい「仕掛け」を用いた。
サビの最も高揚する部分を急激に持ち上げ、それを少しずつ落としていくという、どこにでもありふれた手法。
この陳腐さを一気に哀しみの旋律に変えたのがこの歌詞。
これが桑田の「仕掛け」であった。
その感情の起伏はまさしく寄せては返す津波のようである。

 めぐり逢えた瞬間から 魔法が解けない
 鏡のような夢の中で

そして再び津波が押し寄せる。
愛情を魔法と説くのは、思春期なら誰でも思うことである。
しかし桑田は敢えてその子供らしさを表に出し、愛の「大人を子供に変えてしまう力」を表現した。
津波は恐ろしい。しかしその根本にある愛は、異常なまでに純粋無垢なのだ。
そうやって反復してきた人生に、「あんなに好きな女性に 出逢う夏は二度とない」という境地を見出す。
しかしどれだけ愛を知っても、どれだけ愛に従順になることができても、

 思い出はいつの日も雨

思い出は常に雨だったのだ。
そう、愛を知るということは己を削って心を見つめること。
桑田はその哀しみを、「雨」という事象で表現したといえる。


風に戸惑う弱気な僕 通りすがるあの日の幻影 本当は見た目以上 涙もろい過去がある 止めど流る 清か水よ 消せど燃ゆる 魔性の火よ あんなに好きな女性に 出逢う夏は二度とない 人は誰も愛求めて 闇に彷徨う運命 そして風まかせ Oh,My destiny 涙枯れるまで 見つめ合うと素直に お喋り出来ない 津波のような侘しさに I know...怯えてる, Hoo... めぐり逢えた瞬間から 魔法が解けない 鏡のような夢の中で 思い出はいつの日も雨 夢が終わり目醒める時 深い闇に夜明けが来る 本当は見た目以上 打たれ強い僕がいる 泣き出しそうな空眺めて 波に漂うカモメ きっと世は情け Oh,Sweet memory 旅立ちを胸に 人は涙見せずに 大人になれない ガラスのような恋だとは I know...気付いてる, Hoo... 身も心も 愛しい女性しか見えない 張り裂けそうな胸の奥で 悲しみに耐えるのは何故? 見つめ合うと素直に お喋り出来ない 津波のような侘しさに I know...怯えてる, Hoo... めぐり逢えた瞬間から 死ぬまで好きと言って 鏡のような夢の中で 微笑をくれたのは誰? 好きなのに泣いたのは何故? 思い出はいつの日も…雨