謎の怠慢管理人:周瑜とは一体何者なのか。
周瑜の実態に迫る!!
学名 | 山本泰央(やすてる) |
発生年月日 | 昭和62年6月20日 |
分布 | 産まれも育ちも大阪府。大阪在住 |
性質1 | やかましいけど真面目な話だってできる |
性質2 | 作家志望。心理学にも手を出したり出さなかったり |
性質3 | 何でもすぐに邪魔臭くなる傾向あり |
性質4 | 三国志に登場する周瑜に憧れ、勝手にその名を語る |
周瑜(しゅうゆ)。字は公瑾(こうきん)。呉の大都督。
少年時代は親友の孫策に仕えた。孫策の死後は、息子の孫権に仕えた。
主な戦は赤壁の戦い。重臣達の降伏論を退け、逃げてきた劉備と同盟し、見事曹操率いる大軍を撃ち破り、勝利へと導く。
後、荊州を巡る争いの中で毒矢を受け、病に臥す。
以上は三国志演義での話。実際は違う。
曹操軍団の大敗北は、慣れぬ土地での長期戦による疫病蔓延が原因であって、決して周瑜らの活躍のみではない。
また、周瑜の死因も毒矢によるものではないようだ。
凄まじい量の仕事と毎夜毎夜の妻(小喬。絶世の美人姉妹の妹)との女遊びが過労となり、周瑜の身を滅ぼしたのだという。
英雄、色を好むとはよく言ったものだなぁ。