<靖次>     序

人がいくら注意してみたところで、彼はうだつのあがらない男であった。

目つきは悪いし、馴れ馴れしいし、何より己を世界最高の人間と信じて疑わない。

中学時代、とある女を好きになった時など、彼はほぼ強制的に女を拘束し、一方的に己の魅力を語った。

何も愛情性欲の抑制が暴力的なそれに走った訳ではない。彼にとってはそれが彼なりの格好良さであり、紳士的接近というものであった。

愛し方を知らなかった、といえばそれで済む話でもある。しかし女が感じとったものは、勿論、魅力や美徳などではない。

迫る恐怖と彼の低能さ、そして行為の暴力性である。彼は一生それに気付かない。

その上、何故女が俺を好かないのか最後まで理解できなかった、と言うのだから、重症である。


また、彼は無類の趣味好きであった。趣味好きとは聞きなれない言葉であるが、これは彼が創り出した己への賛辞である。

彼は趣味を持つこと、それ自体を好いている。また、多趣味である己に酔う。

しかし多趣味と言うより、下手の横好きと言った方がしっくりくるのは、彼に実際接してみればよくわかる。

水泳もやった。楽器も触った。スポーツも好きになった。そして片っ端から嫌になる。しかし他人にはどれも趣味だと答え、いかにも楽しそうに演じる。

この演劇は観客のみならず、主演である己自信を満足させ、また自尊心を保つ為には必要不可欠なものであった。

ところがその代償として、己より弱き者への八つ当たり、ストレスを原因とする胃痛、

また、極々限られた時間ではあるが、正気に戻った際に起こる背徳感、これらの悩みを頂戴することとなった。


そんな彼だから、この全く必要のない気苦労を、人生の壁と見立てて多少の書き物もこさえてみた。

そしてそれをいかにも世界最高の小説であるかのように、彼自身が評価する。これがいけないのだ。

しかも彼は前述の通り、自意識と自尊心の塊である。

同窓が口を挟めば閉口、師が諭せば自殺論、というように、彼は彼の芯を絶対に曲げようとはしなかった。

それほど彼は己が大好きで、己を世界一だと思っていた。

しかし一方で、これは彼が小学生の頃叩き込まれた「教育」によって成されたものでもある。

彼に加担するつもりは毛頭ないが、確かに「己の意見に自信を持て」という教育の下では、彼のような曲解してしまった男も、ゼロという訳ではないだろう。


しかし中学、高校時代はそれでもよかった。多少行き過ぎたところは注意されたが、それは大人が子供の悪ふざけをたしなめる程度のものだった。

元々町を追われた者たちが集まった村なので変人が多く、また貧乏である。

誰もが自分の明日の為に精一杯で、彼の存在など気にも留めなかったし、

むしろ純情無垢で無邪気で子供っぽくて、それは彼なりの愛嬌である、とまで言われていた。

好かれこそせぬものの、嫌われることも珍しかった。


しかし都会の大学に入って、彼のそんな事情はガラリと変わった。

自覚というものを彼自身が想起し、それが悩みに変わってしまった時点より、周囲の態度が変わった。

いや、正確に述べれば、変わったものは彼の、皆に対する対応かも知れない。

悩み、迷い、戸惑う中で、彼は今までの純粋な無垢を表現できなくなったのかも知れない。

かつて、彼はそんな風に己を見つめたことがなかった。己を疑ってみるということがなかった。

そういう点では、彼のこの心境変化は重大な契機であった。


しかし一八年の歳月は、彼を完全なひねくれ者に育て上げてしまった。初めて己を疑った時、彼はその疑い自身を素直に受け止められなかったのだ。

今までの己は間違いではなかったのかと思い始めた心。

今までの己は全て正しく、それを拒否することで過去の己を滅し、ひいては現在の己を滅ぼすのではないかと考える心。

二つの心がぶつかり合った時、その二律背反に彼は大きく揺れた。

過去か今か。

「生きるか死ぬか」、問題はまさしくそれだった。

そしてそれまで唯我独尊、傍若無人、天下無双だった彼をそこまで狂わせ、

彼自身という最も頼り甲斐のある理想像を滅茶苦茶に破壊してしまったのが、柳優美という女であった。

   〜続く