第二回はこの曲にした。 個人的に思い入れの強い曲で、歌詞と音楽とが非常にマッチしている。 歌詞においても、愛情で前しか見えない若者らしい歌詞である。 「愛は人を盲目にする」これをそのまま歌にしたらこうなったんだ、といった感じの一曲。 迷子の子猫になったようなアタシを アナタはいとも簡単に見つけ出して まるで全てはおとぎ話のように 一瞬でアタシ恋に堕ちてった 「迷子の子猫」は、何に対して迷子になっていたのだろう。 読み方次第で沢山のことが考えられるが、どうやらこの子は失恋の直後であったのだろう。 差し詰め「真の愛」を見定めることが出来ず、右往左往してしまったといったところか。 こんな「アタシ」を「いとも簡単に見つけたアナタ」。 愛に真偽や方向なんて考える必要はない。要は好きか嫌いか。それを教えられた「アタシ」は、見る間に恋に堕ちる。 たわいもない会話の中 隠れてる愛の言葉 ひとつふたつ拾い集めて じゃれ合っていたくて 日本において、女性は男性との会話の中にこの状況を見つけることが多いようだ。 日本人男性は自分の気持ちを素直に語れない傾向にある。それは決して恥じらいなどという簡単な想いではない。 男も女も、互いが互いを理解できない。 だけど、こういった「愛のカケラ」(笑)を拾い集めることで、より近いところで触れ合える。 身体だけじゃない、言葉や想いで「じゃれ合う」ことも大事なのだ。 離れないでね そばに居てね 「運命だ!」って思えちゃうくらいに ずっと昔から知っていたような 愛情 こう言われて「NO!」と言える男はいないだろう(笑) 恋愛に於いて「運命」とはなんなのだろうか。 前世からの約束? 「ずっと昔から知っていたような愛情」? それとも赤い糸で繋がれた関係? おそらく「運命」なんてものは既存しない。我々人間が「創造」するものなのだ。 差し述べられたその大きな手を アタシだけのモンにしてもいいの? ねぇ大袈裟で痛いくらい 全部愛していて 女の人にとって、男の「手」や背中は大きいものだそうだ。 それは体格的・生物的な問題のみでなく、やはり心理的なものが多く含まれている。 そういった「自分より強大なもの」を自分の物にしてしまう(逆に相手の物にしてしまう)ことこそ、愛の包容力なのではないか。 孔雀等の多くの鳥は、恋愛表現として「変化した威嚇攻撃」を使う。 これは捉えようによっては「大袈裟な行動・態度」ともとれる。 それを素直に相手に受け渡し、また相手も受容して受け入れる。 真の愛の形とは、こういったやり取りなのかも知れない。 これらの方向性さえ理解できれば、冒頭に出た「迷い」は生じない。
迷子の子猫になったようなアタシを アナタはいとも簡単に見つけ出して まるで全てはおとぎ話のように 一瞬でアタシ恋に堕ちてった たわいもない会話の中 隠れてる愛の言葉 ひとつふたつ拾い集めて じゃれ合っていたくて 離れないでね そばに居てね 「運命だ!」って思えちゃうくらいに ずっと昔から知っていたような 愛情 差し述べられたその大きな手を アタシだけのモンにしてもいいの? ねぇ大袈裟で痛いくらい 全部愛していて 寝ても覚めてもいつでもどんな時でも アナタの事が気になって仕方ない とにもかくにも夢見てるみたいで アナタの事が好きでたまらない 何気なく耳にする 根もはもないウワサ達 アナタをね想う気持ちに 余計なプライドなんて要らない ずっと見ててね ここに居てね 不安になる前に抱き締めて 同じものを見たり聞いたり したいから 臆病なばかり強がってしまう かわい気のないアタシでもいいの? ねえ形振り構わぬくらい 全部愛していて 離れないでね そばに居てね 「運命だ!」って思えちゃうくらいに ずっと昔から知っていたような 愛情 差し述べられたその大きな手を アタシだけのモンにしてもいいの? ねえ大袈裟で痛いくらい 全部愛していて