<霧降る夜道> その日は、いつもに増して機嫌が悪かった。 まず、いつもよりも激しい背中の痛み。ギシギシときしむような嫌な音。 それだけならまだいいのだが、いつもは感じたことのない、粘り強い痛みがあるのが気に食わない。 遂に故障してしまったのだろうか。 否。それならこんな痛みで済むはずがない。それこそ、のた打ち回るような痛みがあってしかるべきだ。 私はついぞそのような痛みに遭遇したことがない。 痛みというのは不思議なもので、私にはその真実が分からない。 どうやら痛みはひとつの感情・原因ではないらしく、様々な原因や痛みが折り重なって、一つの痛みに達するようだ。 ひざを擦り剥いた時、痛みとは別の、何か精神的な辛さが感ぜられたのを覚えている。あれがきっと真実なのだろう。 恥と痛みは折り重なってのしかかる。 あの頃の私には、それは泣くという表現方法でしか自己顕示できなかったに違いない。だから泣いたのだ。 情けないくらいに泣くことで、もしかしたら転んだ恥を消すことができると考えたのかも知れない。 無論、そんなもので恥が消えるはずはない。 さて、その日が嫌になった原因はもうひとつあった。 後輩が、交際相手と別れたというのだ。私に切実に語ってくれた彼は、眼に涙を浮かべていた。 相談されるほど頼りにされているのは嬉しいことだ。飛んで喜ぶほど嬉しい。 なにより信頼関係は大切だし、私がそんな人間に成長したんだ、そんな人間に見られているんだと思うと、それこそ小躍りしたくなるような気持ちになる。 だが、私はその相談を受け、非常に淋しい気分になった。 人の別れを聞いて、誰しも喜ぶはずがない。勿論、そんな状況だって有り得るのかもしれないが、当時点では私は喜べなかった。 何故なら、私だって同じような境遇にいたのだから。自らの不幸こそ、多くを語るべきではあるまい。 己の悲しみは己が食い潰せばいいだけのこと。 一応、悲しみを紛らわす等という名目で近所のゲームセンターへ駆けつけた訳だが、結論から言えば、楽しくなかった。 ゲームセンターというのは、思いっきり遺恨なく楽しめるから面白いのであって、今回の場合は楽しいとは呼べない。 更に帰りの電車で、「少しは忘れられたか」と問えば「まだまだ思いつめてしまいますねぇ」と帰ってくる。これでは私の努力は報われないではないか。 嘘でもいい。「今日は先輩のお陰で、精一杯楽しめて少しでも忘れることができました」とでも言ってくれれば、私も報われるのだ。 まぁ、彼にそんな事を言ってもわかりっこないのは重々承知の上だが。 そんな感じの帰宅であったので、バスに乗る頃は非常に疲労が溜まっていた。 しばらくは梶井基次郎の檸檬を研究しながら目を覚ましていたのだが、次第に眠気は激しくなり、目的の停車駅からはるか手前で寝入ってしまった。 結局、停車駅を三つ寝過ごしてしまったのである。たまにはいい運動になるだろうと、家まで歩くことにした。 バス停からまっすぐ歩いていけば、緩やかな曲線を描いてT本線が走り、やがてT字路に差し掛かる。 そのまままっすぐに進めばH道路、大阪方面。左に曲がれば奈良方面だ。私の家はその間のK公園を通って帰る。 と、一歩を踏み出したその瞬間。赤信号に慌てた乗用車が一台、目前を駆け抜けていった。 危ないところだった。あと一歩踏み出していれば、確実に死んでいただろう。 以前、死と隣り合わせになったという小説を書いたことがあるが、ああいう間接的な物とは違う、もっと直接的な恐怖を感じた。恐ろしいことだ。 元を質せば、私の不注意こそあれ、後輩の恋愛相談が私を殺すことになる。 恐怖と変な責任の行き先について考えている間に、信号が赤に変わってしまった。また待たなければいけない。 ようよう信号も変わり、私はK公園に入った。誰もいない公園というのは、少々奇妙なものがある。 しかもそれが中学時代の思い出の場所であるから、余計に念は強まる。 公園の全ての道は、一部を除いて土である。雨の後だったので地盤が多少緩んでおり、一歩一歩しっかり歩かなければならない。 制靴が汚れた。 K公園にはグラウンドがあって、普段は地域の野球チームやサッカーチームが練習しているのだが、流石に九時半を回って練習している馬鹿もいないだろう。 季節は冬である。 そのまま道なりに進んでいけば、公衆トイレがある。中学時代によく友達と戯れた場所だ。 草臥れたトイレで、誰かが掃除をしているはずなのに毎日汚れていたんだっけ。 大便器の傍に誰かが使用した後のエッチな本が置いてあったり、市が面目を保つ為に設置された障害者用の便器が壊されていたり。 スプレーでの落書きが流行った時分には、時流に乗じて落書きがしてあったことを思い出す。 何とか軍団参上、とか、喧嘩上等、だとか。 何より滑稽だったのは、そういった脅し文句の漢字間違いだった。間違いを知ったとき、本人はどんな気持ちになるんだろう。 見当もつかないくらいに面白い。 そんな懐かしのトイレに「よし、今日は一つ、入ってみよう」等と、かの丸善のようにずかずかと入り込み、まずは大便室を覗いてみる。 期待した訳ではなかったが、本はなかった。 「よし、ここは大丈夫だな」少し安堵した自分に、我ながら微笑んでしまった。何度見ても、中学時代の、あの草臥れたトイレである。 さて、意気揚々と出て行こうとした私に、大きな事件が起きた。それは非常に衝撃であった。 中学時代、私は髪の毛を染めるということに、非常に憧れを抱いていた。 他校の生徒は皆染めている。何故自分の学校は染められないのか。社会の曖昧さに気付いたという事も、その憧れに拍車をかけた。 そしてその想いは、このトイレの出口にある、手洗い場の鏡によってのみ実現されていたのだ。 出口の鏡には、正午以降、陽が当たる。太陽を一杯に溜め込んだその鏡に自分を映してみると、どういうわけか自分の漆黒の頭髪が茶色く見えるのだ。 いや、原因は分かっている。強い陽の光が私の髪を透かしているのだ。そんなことはその当時でもわかっていた。 しかし、私はその幻想に酔いしれていた。その瞬間だけは、自分は社会――というより中学――の制度に違反していたのだから。 私に衝撃を与えた事件というのは、その思い出深い鏡が消えていたことだ。 なるほど、考えてみれば単純なことである。どこかの馬鹿が鏡を割り、市が片付けただけの話。 しかし、その鏡に収められていた私の思い出はどうなる。私のささやかな社会批判はどうなる。 周囲の人間にとっては何の価値も示さない鏡かもしれないが、私にはかけがえのない思い出の断片であるのだ。 私は鏡のなくなったタイル壁を見つめながら、そこに映し出されるはずの私を見つめていた。 それから数分が立ち、いよいよ寒くなってきたので足を進めだした。 霧か霜か、視界がぼやけてくる。地面は凍てつき、空は黒い。その間を一歩一歩踏みしめ、私はK公園の出口に位置する橋に乗った。 それは五メートルほどの幅しかない運河を渡る橋で、非常に短い。この橋にも、私の思い出が詰まっている。 小学生の頃は、凍りついた川に石を投げ入れて遊んでいた。中学生ではもうちょっと大人になっていて、この橋はとある想い人を連想させる。 この橋を渡ったらいよいよ地面はアスファルトになり、視界は急激に開ける。 長い下り坂を下りながら、愛を隠さなければならなかった人の家の前を通る。この辺りも随分変わった。 あの人にはまだあのままでいてほしい。 やがて小さい公園に入って、遊具の隙間を抜けていく。止せばいいのに石の段に足をかけ、滑る。 公園の出口付近で煙草を吸っている中学生を見かけた。いい度胸だ。私は多少の問題児ではあったが、こんな夜遅くまで外出できるほど度胸はなかった。 なにせあの頃はバブル崩壊後、最もその影響が出た時期で、殺人鬼が流行の最先端だった。無差別殺人は連日放送され、犯罪が犯罪を呼んだ。 死人は当たり前のように数値化され、報道される。こんな世の中こそ、さっぱり無差別に消えてしまえばいい。 最後の十字路。思い出は――ない。 左右を確認しながら渡る。私も忙しい人間になってしまったようだ。昔は左右確認の際には、必ず一旦停止していた。 結局この日は十時を越える帰宅となってしまい、親にもこっ酷く叱られた。 しかし、あの後輩のあの相談は、私の忘れかけていた様々な美しいものを呼び覚まさせてくれた。 感謝こそしないが、形だけでもアリガトウと伝えておこうか!