<後悔>

  永き夢の始まり。

あれは小雨の降る寒い夜だった。

僕と君は二人で、たった二人っきりで、薄暗い道を歩いていたよね。

 今日は楽しかったね。

 あいつ、いきなり転ぶんだもんなあ。

そんな下らない事を話しながら二人で一緒に帰る。

その時。

その時こそが僕の唯一の楽しみだった。面白くない学校生活。家に帰れば勉強に追われる毎日。

何もしたいことなんてない。別に何処の高校に行ったっていい。

そんな現実感のない薄っぺらな毎日の繰り返し。

僕らは出会えた。

いや、きっとそれは運命だったんだろう。

偶然の必然。

必ず起こりうる奇跡。

その奇跡の中で僕らは生きてる。

僕に希望が出来たのは、ある肌寒い帰り道――


  光の射した日。

 一緒に帰ろ。

そう言ったのは君だったね。君は、いつも僕の一歩前を歩いていた。

帰り道。T字路。

僕は右。

君は左。

だけど君はこう言った。

 ねえ、一緒に帰ろ。

本当はその時から気付いていたんだ。君が何を考えているのか、なぜ一緒に帰ろうと言ったのか。

だから左に曲がったんだ。わざわざ遠回りしてまで、君と帰ることにした。

案の定、君は僕に恋を打ち明けた。すごく遠まわしな言い方で。

初めに君が言ったのは、確か部活動だった。それも僕の所属している部活名を言った。僕の心は跳ね上がった。

もともと、君の事は気にかけていたんだよ。

本気で一緒にいたいと思っていた。

だけど言えなかった。

僕には一人、付き合っている人がいたから。

ああ、きっと知っていたのかもしれない。その子は君のとてもよく知っている子だったから。

もしもその子に別れようなんていったら……

そしてそれが皆に広まって君の耳にも入ったら……

もしかしたら君に嫌われるかもしれない。最低な、人の事も考えない男だと思われるかもしれない。そう思ったんだ。

でも君は好きだと言ってくれた。

本気で愛していると言ってくれたんだ。

それがたまらなく嬉しくって、可愛くって、同時に悲しかった。

好きなら好きだと言えばよかったんだ。

別れたいんだったらそう言えばよかったんだ。

もっと素直になればいいんだ。

僕は泣きそうになった。

この薄すぎる、シャボンの液のような毎日に、一筋の光が差し込んだ。

それだけで僕の渇いた心は潤った。

これからは絶対に君を泣かせたりしない。

守ってみせる。

やっていけるよ。

そう信じていた。

それから僕は以前付き合っていた人と別れた。

そして君と付き合いだした。


  不安は別れの始まり。

僕はなるべく電話するようにした。

君に淋しい想いはさせたくない。

君は僕が守るって心に誓った。

初めのうちは良かった。

いつもの様に家に帰ってすぐ電話をとる。

部屋にこもって独りでボタンを押す。

君の携帯の番号、ひと時も忘れたことはなかったよ。

コール。

コールがなる。

すぐに君の声が聞こえてくる。

そして僕は独りじゃなくなる。

一つの受話器を挟んで僕らは会っている。

それからは僕もよく覚えていない。

何を話していたのか、何故何時も笑っていたのか。

分からない。思い出せない。こんな気持ちが許せない。

気が付くと、何時も朝の一時を回っていた。

最後は君の携帯の電池がなくなって電話が切れる。

いつものパターンだった。

でもそれも今となっては全て嘘だったのかもしれない。

今までの思い出は、総て君に作られていたシナリオどおりに進んでいたのかもしれない。

でも、それでもその時は、その時は本当に君を心から愛していたんだ。夜は眠れないし、授業は全く身に入らなかった。

だからかな。僕は君の変化に気付くことが出来なかった。

三日目。

四日目。

時間は流れて行く。

思い出も流れて行き、やがて終焉を迎える。

日増しにコールが長くなっていく。

それでも四日目はまだましだった。

三回ほどかければ君はきちんと電話に出て、明るい声を聞かせてくれた。

同じ高校に行こうね。

同じクラブに入ろうね。

幸せを感じながら会話していたんだ。

でも五日目の夜。

僕はいつもどおり電話をかけた。

ツー、ツー、ツー、ツー……

話中かな?と思って十分後、またかける。

聞こえてくるのは虚しい電子音。

もしや何かあったのか?

そして三十分後。

三度目の電話。

やはり繋がらない。

おかしい。

絶対何かあったんだ。明日、学校に来なかったらどうしよう。

不安は皮肉にも、僕の眠気を奪っていく。

結局、その日も眠れぬ夜を過ごした。


  完全なる拒絶。

翌日。

学校には君の姿があった。

いつもと変わらぬ笑顔で、いつもと変わらぬ声。

僕は何故昨日、電話が繋がらなかったのか聞こうと思い、人目を盗んで君に会いに行った。

だけど君は友達といたんだ。

それでは、と思い、今日一緒に帰ろうと言った。

 じゃあ、あのT字路のところにいるから……

それで僕らの会話は終わった。

君はいつもの笑顔で言ったよね。

 うん、分かった。

僕はとても嬉しかった。

一緒に帰る時間がたまらなく待ちどうしくなり、授業なんか聞いてもいなかった。

そして待ちに待った下校時間。

僕はトイレに入った。

するとそこには、僕の仲の良い同級生がいた。

そいつはとても良い奴だったし、一緒に遊んだりもしていた。

少なくとも、僕は気の合う友達だと思っていた。

そいつの口から、あの言葉が出るまでは。

 お前、あの女と付き合い始めたんだろ。

それは本当に突然のことだった。

一瞬驚いたが、そんなそぶりは見せずに僕は言った。

 そうだよ。付き合ってるよ。でも誰に聞いたんだ?

そんなの、分かっていた。僕は何も言ってないんだから。僕たちの関係を知っていて、こいつと仲が良い人間が言ったんだ。

でもそれは一番信じたくなかったことだった。

だがそいつは淡々と言った。

 お前の、その女だよ。

僕は出来ることならそいつを殺し、君の所へ行って確かめたかった。

でもそいつはまだ黙ってはいなかった。

 そいつからさ、伝言預かってるんだ。聞いたら悲しくなるぜ。それでも聞きたいか?

聞きたかった。こいつはまだ、話の核心に触れていない。

 いいから言えよ。

僕の気持ちは、一言で言うと焦っていた。

こんな所で油を売っている時間なんてなかった。

 あいつ、好きな人ができたから、お前に別れてくれってさ。なんか、私を悲しませたくないのなら、お願い、だってさ。

そいつは笑いながら言った。

僕は嘘だと思った。

そんなはずはない。今までずっと好きだ、とか愛してる、とかいってくれていたんだ。

電話にもいつも出てくれた。

そんなはずはない。

だからこれには全く動揺せずに言い返した。

 へー。それで?それだけ?

それだけ言って僕はトイレから出ようとした。

途中、僕はそいつのとても驚いた顔を見た。

それが僕をとても不安にさせた。

階段を下りている時に、君とすれ違ったよね。

僕が挨拶代わりに軽く頭を下げると、君は笑った。

君の笑顔を見たら不安は飛んでいったんだ。

そういえばあの後、君は何故階段を上っていたんだろう。

その後。

僕は君と出会ったあのT字路で待ち続けた。待ち続けたんだ。

でも君は来なかった。

もしかしたらあいつの言っていたことは本当かもしれない。

夕日も沈み、もう帰ろうかと思ったその時、あの同級生の声と共に君の笑い声が聞こえてきた。

――覚えていてくれたんだ――!

だがその瞬間、僕は凍りついた。

君の口から聞こえてきたのは、僕の一番聞きたくなかった言葉。

 うわ、まだいる!

それは拒絶だった。完全なる。

僕は走った。

右に曲がり、全速力で走った。

後ろから聞こえてくるのはいつもと違う笑い声。

見下したような、まるで相手を人間と思っていないような声。

僕は走った。

走って、走って、走り続けた。

学年でもそこそこ足は速いほうだ。

それでなのかな。君が離れていく気がした。

でもその薄気味悪い笑い声だけはいつまでも、いつまでも、心の中に響いていた。


  絶望。

家に帰ってからもう一度、考え直してみた。

――もしかしたら友達と一緒だったから恥ずかしかったのかも。

十分考えられた。

とすると、再度電話して確かめなければならなかった。

受話器をとる。

あまり携帯にはかけたくなかった。でも君はいつか家族には知られたくないと言っていたよね。

仕方が無いので携帯にかけたんだ。

緊張してた。

クラブの大会より緊張していたと思う。

ボタンを押し、耳をそっとあてる。

ツー……

まさかまた電話中とはとても思えなかった。

その音が聞こえた瞬間、僕はすぐに電話を切り、迷わず一度聞いた君の自宅の番号を押す。

不思議だった。

物覚えの悪い僕が、何故か君の電話番号を覚えていた。

携帯は持っていないのであまりよくは知らないのだが、察するところ特定の相手からの電話を自動的に切ることが出来るのだろう。

そうでなければ一体この状況をどう説明できようか。

コール。

コール音がなる。

 はいもしもし?

いつもの声だ。

気が楽になり、不安は飛んでいく。

 あのさ、僕だけど……

『ガチャ!』

そこで電話は切れた。

同時に僕の希望も消えた。

永き夢は終わったのだ。

全て、総て。

残ったものは虚しさ、儚さ、そして後悔。

絶望、だった。