<親父> 親父の脚が悪くなったというので、母が病院に連れて行った。その直後に俺は彼女を家まで送った。 焦りが無かった訳ではない。実際、危険なカーブの連続に猛スピードで突っ込んだし、直線では事故れば即死というスピードが出ていた。 だが、どこか「今回もきっと大丈夫だろう」という感覚はあった。 家に帰ってみると、まだ親父は帰っていなかった。小一時間は経っているはずなのに。 妹の反応は至極冷静で、順番待ちだとか、診察自体に時間がかかるのだなどと最もな答えを示したが、俺はそれを冷たいなと思った。 親父はそれから三十分後にひょっこり帰ってきた。 痛そうに左脚を引きずりながら、一段ずつ階段を登る。それでも母の手は借りようとしなかった。 俺はそんな親父の性格を知っていた。しかしその為に手を出さなかったのではない。 俺は親父のそんな姿を見て、正直な話、呆れた。 そんなボロボロな姿になって、他人に助けられてまでして生きていく意味がどこにある、親父がよく使っていた文句。 ばあちゃんが死んだ時からの口癖になっていた。 すでに意識がなくなっていたばあちゃんに、親父は医者に頼んで人工救命器をつけさせた。 でも、それはもう死への無駄な抵抗に終わり、三十分後にばあちゃんの心電図は横一線になった。 何故もっと早く救命器をつけなかったのか。母の問いかけに親父は軽く首を振っただけだった。 親父はそれからというもの、運命という言葉に興味を示し、先にあげた文句を口癖にするようになった。 親父はばあちゃんが身をもって知らせてくれたことを、未だに理解していなかった。 ばあちゃんは「人の運命」を教えたかったんじゃない、きっと「後悔することの情けなさ」を教えたかったはずだ。 確かに人の死は免れようのない未来だ。それに異議を唱えるつもりは毛頭ない。だけど、それに抗うことが恥ずかしいことだなんて思わない。 ばあちゃんも、もっと早く救命器をつけてあげれば助かったかも知れない。 親父、手を借りたらいいじゃないか。俺は心の中でそう呟いていた。 俺と妹が心配そうに見つめる中、親父は――見せしめるかのように――自力で二階の自室へ戻った。 そしてベッドに座り込み、ズボンを捲り上げて脚を俺たちに見せた。そして言うのだ。 「俺も、もう歳だからなぁ……」 出来るものなら怒鳴りたかった。 「分かってるんなら俺たちの手を借りたっていいじゃないか!いつまでカッコつけてるんだよ!」と。 だけど親父の脚は見るも無残な程か細くて、往年の、スポーツマンだった頃の面影はどこにもなかった。 俺は込み上げる感情を抑えきれず、顔を隠しながら部屋に戻った。 結局、俺も親父の子だった。親父は、何もカッコつけてる訳でもなく、迫りくる運命を受け入れている訳でもなかった。 俺が彼女を送った際に感じた「きっと今回も大丈夫だろう」という感覚を、親父も持っていただけなのだった。 そしてそれが「今回も大丈夫であってほしい」という願いと、 「どうしていいのかわからない」という戸惑いからくるものなのだということを、俺は理解した。 きっとばあちゃんの時もそうだったのだろう。 後悔する前に手を打つべきだ、そうは分かっていても、何故かそうすることで運命を認めたみたいな、そんな感覚になるのが嫌なのだろう。 その感情は俺も持っている。 つまり俺が親父と一緒に病院に行かなかった事も、親父に手を差し伸べなかった事も、 結局は現実を直視したくない自分がそうさせたのであって、親父が手を借りなかったのと同じことなのだ。 俺は親父を全く理解していなかった。一八年間を俺の為に費やした親父を、俺は何一つとして理解していなかったのだ。 俺は親父の為に何が出来るのだろう。今のまま親父が死んでしまったら、俺はその親不孝をどうやって償えばいいのだろう。 想えば想う程親父の大きさが分かってきて、俺はなんて惨めな存在なのだろうと思うようになってくる。 俺が死ぬ気で生きてきた一八年間は、親父にしたら取るに足らない事なのだったのかな。 だけど俺は親父を少しでも楽にさせたい、そう思うようになった。 現代の若者は親父を忌み嫌う傾向にある。親父の下着を一緒に洗濯するなだとか、親父って臭いと罵るとか。 俺はそこまで親不孝者ではなかったが、親父を理解できていない現代人の一人ではあったはずだ。 親に迷惑かけてもなんとも思わなかった自分が、今となっては恥ずかしい。 だから、そんな現代の若者に言いたい。声を大にして、皆に言い聞かせたい。 ――知ってる?血の繋がった親父って、世界中を探し回ってもたった一人しかいないんだってさ。だったらさぁ…… 「パンツくらい一緒に洗ってやれよ」